2021年 文化財指定 弥富市の服部家住宅!
撮影日:2021/2/8 AM10頃〜  天気:晴れ
先日、「弥富あるあるページ」をホームページに追加してから一度は行ってみたいと思ってました。昨日、買い物途中に寄り道し見て来ましたが中には入れず外観だけの撮影となりました。
服部家住宅→地図

1 服部家住宅は国、県指定の文化財 服部家は中世以来の家系であり、天正4年(1576)に現在地に居を構えたという。

2 主屋は、南面し屋根を入母屋造、茅葺とし、南、北、西の三面に桟瓦の庇が付く。

3 濃尾平野部における豪農の居宅として貴重であり、建築年代の明らかな民家としては、全国的にみても古い事例となっている。

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服部家は中世以来の家系で、戦国時代の混乱の後、天正4年(1576)に旧領に配下の家来を従えて戻り、現在地に居を構えたという。屋敷地は荷之上城の跡地と伝え、かつては東西北の敷地三方に堀が巡っていた。南に長屋門形式の表門を開き、敷地中央に主屋、主屋の北西に離座敷が建つ。主屋、離座敷、表門が重要文化財の指定を受け、表門東西の土塀、主屋東南の土塀と便所、離座敷北の文庫蔵、古図2枚、普請文書2冊と宅地が附指定されている。
主屋は入母屋造(いりもやづくり)、茅葺で、南・北・西の三面に桟瓦葺の庇がつく。平面は東側に土間を設ける片土間形式で、東側を占める土間は南北2室に分割して北側にカマドを設ける。天保年間の改造を経て居室部分は3列に10室が並ぶ複雑な平面となっているが、西南はオザシキを主室とする接客部、北側は寝室部分となっている。修理の結果、主体構造は当初から変わっていないと判断されているが、軸部の仕上や技法、南北外壁筋から一間入った位置に柱を列立する形式は極めて古い。家蔵文書に「本家建替」と記される承応2年(1653)の造営とみられているが、全国的にみても、年代が明らかな民家の中で古い事例となる。
離座敷は、主屋東北の一段かさ上げした敷地に建つ平屋建、桟瓦葺の建物である。主要部分は安永9年(1780)に伊勢の戸津村(現桑名市)の喜兵衛宅の座敷を買い取り翌年に完成したもので、茶室の改造、東新座敷の増築を経て現在に至る。移築部分は18世紀中期の建物と推定されているが、柱間の基準寸法は六尺の内法制を採用し、主屋とは相違する。
表門は、豪農の居宅の門に相応する規模、形式を備えた茅葺の長屋門である。度重なる改造を経て建造年代は明らかではないが、江戸中期以降の建造とみられている。見学は予約制。
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